志紀長吉神社のご由緒

日本最古の書物「古事記」「日本書紀」に載せられている延喜式内社であり、ご鎮座になったのは今から1200年前の平安初期頃(794年)といわれています。第69代後朱雀・第70代後冷泉天皇の祭りの場となった場所としてもしられています。

社名は『延喜式』の神名帳(じんみょうちょう)にも記録が残っており、中世文書を多く伝えており、その記述などから、室町時代から戦国時代には「永原大宮」と称され、四天王寺や住吉大社と同様に、地域支配の核となる社寺として。地域支配の政治的・経済的な拠点として重要な役割を果たした神社であったことが記録されています。

江戸時代には日蔭大明神と称し、牛頭天王をまつり、祈雨祈願に霊験あらたかであるとして、信仰を集めていた。神仏習合の時代、神に仕える目的から神社に付属して営まれた寺院、即ち「神宮寺」として「阿弥陀寺」と号し、その僧侶が記した縁起も神社に伝来している。また、明治以降の神仏分離の際にも散逸せず、神社に神宮寺関係の史料がいくつか伝来しており、いくつかは大阪市指定文化財として、大阪市立博物館に保管されている。

明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。

※延喜式(えんぎしき)とは、平安時代中期に編纂された格式(きゃくしき)。律令格の施行細則。巻9・10が神名帳(じんみょうちょう)になっており当時の主要な神社とされていた官社が記載されている。

御神紋「日蔭の蔓」

第51代平城天皇が即位の大祭の時に当社の東の飛び境内地(宝田)(現在の長原東二丁目六番)より全ての者に罪・穢れがつかないよう祓うものとして日蔭の蔓(ひかげのかずら)を供え、平安朝第51代平城天皇(809年)より日蔭大明神の位を授けられ、神紋と定められた。

大嘗祭の際に近くの山で日蔭蔓を奉納していたという伝えがある。日蔭蔓とは、近くの山の日蔭に生えた蔓を用いて作った冠飾りの一種と伝えている。日蔭大明神と称したのは、この日蔭蔓に起因するものと考えられる。

神宮寺の僧によって江戸時代にあらわされた「日蔭大明神廟記」には、牛頭天王の尊像が垂迹(すいじゃく)し、その本地は薬師如来であると記されている。平城天皇(へいぜいてんのう)の代、弘仁8年(817)には、旱魃の際に祈雨したところ霊験があったという。その際に、天皇の夢に現れた牛頭天王の姿を画工に描かせ、あわせて日蔭大明神の神号を授与したと伝える。


明治5年当時の鳥居前

明治5年当時の本殿

現在の鳥居前

現在の本殿
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