志紀長吉神社

御祭神

主祭神(本殿)

長江襲津彦命 (ながえそつひこのみこと)

ご神徳交通安全・災祓い ・勝運

長江襲津彦命は、葛城襲津彦命とも称し、第八代孝元天皇の孫にあたり武内宿禰の第六子として生誕され、神功皇后の時代より河内政権(第十五代応神天皇・第十六代仁徳天皇)とともに三韓征伐に貢献され又、海上・道中の安全を守護されました。 さらに大和国の葛城地方を本拠とする葛城氏が大和川を支配し、河内国に属する当地(長吉)で晩年を過ごされました。 大阪市史には「葛木長江曽都毘古」の“長江”とは住吉の墨江・大和川を意味し、襲津彦は本拠の葛城の地から大和川に沿って大阪平野に進出し、長江襲津彦と呼ばれ、河内政権と共に大和川を支配して、河内王権の大きな支えになったと解される」とあり、葛城氏が旧大和川を通じて河内に進出していたと推測している。

事代主命 (ことしろぬしのみこと)

ご神徳商売繁盛・五穀豊穣

事代主命は、天照大神の建速須佐之男命の五番目の孫で大国主命の二子で、葛城地方に古くから祀られていた神ともいわれ、葛城の神として祀られたのであろう。

摂社・末社

琴平社

この神様は、四国の金刀比羅宮と同様、交通安全の神様として祀られています。

稲荷社(宇迦之御霊之大神)

この神様は、伏見稲荷神社大社・外宮より豊受皇大神の御分霊をうけて、商売繁盛の神で、長吉の企業繁栄の守り神として祀られております。

神宮遥拝所

ここで、伊勢神宮と神武天皇稜に向かってお参りします。

水神社(すいじんじゃ)

御祭神:瀬織津姫神
ご利益:浄化・財運上昇

瀬織津姫神は水を司る女性の神で「穢れ」を押し流してくれるいわば浄化の力をもつ女神または蛇の神・龍神様とも言われています。財運上昇のご利益があります・

兼務社

志紀長吉神社以外にも、当神社宮司が兼ねてご奉仕している近隣の神社がございます。このような神社のことを「兼務社」と呼びます。

赤坂神社(学問の神・開運厄除の宮)

大阪市平野区長吉六反1-14-24

素盞鳴尊(すさのおのみこと)
ご神徳:厄除け
南北朝時代この赤坂の地に疫病が蔓延し素盞鳴尊が祓いおさえられたと伝えられています。
菅原道真公
ご神徳:学問・芸能

赤坂神社の創建は不詳ではあるが、文献には「南北朝時代までこの地を赤坂村とよび、後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅亡させようとした元弘3年(西暦1333年)に河内の国の武将楠木正成が後醍醐天皇に協力し河内国石川郡赤坂村(現:南河内郡千早赤阪村)にて挙兵し足利尊氏の軍勢と建武2年(西暦1335年)に戦になった際、京都にいた足利勢に河内国石川郡赤坂村と混同されることを恐れ六反村に改められたといわれている。」と記されていることより、いまから約700年以前に創建されたものと推測されます。六反村へ改名した由来は「赤坂」という文字の「赤」を縦横棒を消して「六」に、「坂」の字の土へんをとり「反」にし以前の村名を残しつつ混同されあらされることのないようにするための苦肉の策であったといえます。また、赤坂村は、もともとは赤阪村でしたが古来より掘り起こすと赤い土器が出土したことからこざとへんの「阪」よりつちへんの「坂」に改名されたといわれています。

産土神社(開運厄除けの宮)

大阪市平野区長吉出戸6-10-14

創建は明らかではないが、もと牛頭天王社と称し素盞鳴尊を祀った。明治5年に産土神社(うぶすなじんじゃ)と改称し村社となった。旧社殿の棟札(屋根裏の柱に取り付け後世に記録を残す板札)に天保7年上棟の記述があったが、現在の社殿は老築化により昭和61年に建て替えられたものである。

天照皇大神社(開運厄除けの宮)

大阪市平野区長吉出戸

創建は明らかではなく、天照皇大神・春日大神・八幡大神の三座をお祀りしていたが明治5年産土神社に合祀された。明治13年7月分離し村社となった。

深居神社

大阪府松原市小川5丁目26-4

この深居神社は、奈良時代の養老元年(西暦717年)の創建と伝えられ、品陀別命(ほんだわけのみこと)である応神天皇が祀られています。棟札から一間社流造りのこけら葺の本殿は、江戸前期の万治3年(1660)に建てられています。また小川に古代から中世を通じて恵我地方の総産土神である深居神社が鎮座したのも同地が東除川の水上として重要視されています。社名が「深居」と称されるのも「居」はもともと「井」よりの転化であり、濃厚に欠かせない井戸一水の神として崇められたからだといわれています。もともと深居神社は小川だけでなく、津堂や松原市内の若林・大堀・川辺(大阪市平野区)の総産土神でしたが元弘~建武期(1331~35)以降、現在のように小川一村の氏神となりました。この経緯もあって深居神社より分祀された若林神社・大堀八幡宮・津堂八幡宮・川辺八幡宮の祭神もおなじ品陀別命(ほんだわけのみこと)が祀られております。

若林神社

大阪府松原市若林1-6-30

建武4年(西暦1337年)に深居神社から分祀され創建される。江戸時代前半に今とは比べられないほど広大な境内地が盛で囲まれています。同地に小字「若林」がある上、鎮守の森が陣取場になりやすかったく戦略的拠点に適していることから、戦の際神社付近に陣取をし戦略拠点にする武将も多かったようです。

大堀八幡神社

大阪府松原市大堀町4丁目494

大堀八幡神社は、1337年に東隣する小川村の深居神社から分祀され1704年大和川 付け替えにより地形が変わり、大和川には剣先船と呼ばれる荷物を運ぶ舟も運行 されまして水路による交通網の玄関口となり村落の安全と水路等を守る為に祀られ、品陀別命(応神天皇)を祀っています。神社は明治5年に村社明治21年には産土神社より八幡神社に改名されました。昭和5年大鳥居と玉垣の建立同47年老朽化の為神殿の覆屋・拝殿・社務所を鉄筋コンクリート造にて再建し現在に至っていました。同45年中央環状線が、万博の開催に伴って吹田市から長吉・堺市まで造られ、それから後阪神高速・西名阪・近畿及び阪和自動車道が通りそれに伴い現在村も分断され、環状線沿いの住居は、大堀南部へ集団移転。平成20年大阪府都市計画道路改良事業により神社敷地買上げの決定。移転用地の選択に入り、松原市の大堀給食センター移転跡地の譲渡の話があり町内の中心地ともなり、地域住民崇敬者の皆様の願望が叶いました。 移転し境内全てが新しくなり過日平成27年3月7・8日遷座・奉祝祭を執り行いました。